初めて南米エクアドルを訪れたのは2013 年2月、ちょうど大統領選の真最中だった。当時再選を目指していた左派のラファエル・コレア候補が、演説会で熱狂的な聴衆を前に熱弁をふるっていたのを思い出す。私はこの旅で豊かな自や人々のおおらかさにすぐに心を奪われたのだが、この10年で国の内情は大きく変わった。
10 年間の内情変化
当初、このラファエル・コレア大統領(任期2007-2017 年)は「自然の権利」を明記するエクアドル新憲法の制定など環境や先住民族保護的政策を取っていた。しかし、その後は開発主義へと大きく路線を変更してしまった。その債務を引き継ぎ、後継者であったが袂を分かつこととなるレニン・モレノの政権下(2017-2021 年)では、国際通貨基金(IMF)などからの債務も膨らんでいった。そのために強いられた緊縮政策によって2019 年には数万人規模の民衆隆起が勃発した。
その後、モレノを無能呼ばわりしていた右派ギジェルモ・ラッソが大統領に就任することになった(本来の任期2021-2025 年)。ラッソも同様な新自由政策で、経済悪化はさらに深刻化していった。開発主義によって暮らしや生きる術を奪われている農民や先住民族など多くの民衆たちの怒りが爆発し、エクアドル先住民族連盟(CONAIE)が中心
となり、2022 年6 月には18 日間の全国ストといった新たな大規模な反政府民衆隆起が起きている。
ラッソ大統領の「差し違え」による臨時総選挙2023 年5 月、ラッソ大統領の横領に関わる犯罪容疑について野党からの弾劾が最高裁判所で承認された。これに対して、ラッソは5 月17 日、重大な政治危機と国内混乱を招いたとして、大統領選挙の前倒しと国民議会を解散する大統領令を発令し、いわゆる「刺し違え」が生じた。彼自身は大統領選挙への不出馬を表明した。8 月20 日に行われた臨時総選挙に際して、女性1 名、男性7 名が大統領に立候補した。この選挙
は、現在も大きな存在感を持つコレア派VS 反コレア派という色彩が強かった。
政権奪還を狙うラファエル・コレア元大統領は収賄罪のため8 年の実刑判決を受けていて、出馬することができず、国民からの根強い反発もある。現在は亡命先のベルギーで暮らしているが、政治的発言も多い。
今回、彼の代替候補として弁護士・前議員のルイサ・ゴンサレスという女性候補が、低所得者向
けの支援などを訴えて「市民革命党(RC)」から出馬、エクアドル初の女性大統領を目指していた。
暴力による混乱
しかし彼女は、立候補手続きのため全国選挙評議会(CNF)の構内で、警官から催涙ガスを噴射され、医師から治療を受けることになった。同じくこのコレア派の市民革命党に所属するハイロ・オラヤ議員は、4 人の殺し屋が発砲した弾丸2 発が命中し重症、緊急入院となった。
同様に8 月10 日、選挙まであと10 日に迫った頃、中道の大統領候補のフェルナンド・ビジャビセンシオは、キト北部での選挙集会を終え、頭部に3 発の銃弾をうけて殺害された。元ジャーナリストの彼は、これまで数人の大統領に対して、公共事業汚職追及による告発をおこなってきた。セダスト社の世論調査によると、彼はルイサ・ゴンサレス26.6%についで13.2%と支持率第2位につけていた。
他にもこういった攻撃により9 人の負傷者もでていて、ルイサ・ゴンサレスを含む大統領候補者の多くはビジャビセンシオの死を悼み、遺族への連帯の意を表明していた。また10 月6 日には、このビジャビセンシオ暗殺に関与したとされる6 人のコロンビア人が、収監されている刑務所で死亡しているのが見つかった。これにはビジャビセンシオは組織犯罪対策強化や汚職撲滅を訴えていたため、犯罪組織とのつながりが指摘された容疑者らの口封じという可能性が示唆されている。
前回2021 年の大統領選挙で、エクアドル先住民族運動の大統領候補となり3 位となったヤク・ペレスは、今回は「人民連合(UP)、エクアドル社会党(PSE)、デモクラシー・シーの連合」から出馬を表明しているが、この事態を批判し立ち向かうために団結を呼びかけていた。
ラッソ現大統領は、この殺人に対し、犯罪組織がエスカレートしたことに触れ「市民の安全を保障するため、国を安寧にするため、自由で民主主義的な選挙が行われるよう」60 日間の非常時代宣言を発令した。
エクアドルは近年、暴力のスパイラルと、その歴史においても最悪の治安悪化の中にある。この3年間で人口10万人当たりの殺人事件の被害者が3 倍に急増しており、その背景にはエクアドルの港がコカイン輸送のための起点とされ、ここ数年でこの国は、コカインの欧州や米国に密輸の一大拠点になったことが指摘されている。そして太平洋岸で力を増大させる犯罪組織、麻薬組織がこれら犯罪の大多数に関与しているという。
こうした暴力による混乱の中、8 月20 日に行われたエクアドル大統領選挙の投票率は82.26%だった。結果は事前の調査の予測どおり、コレア派のルイサ・ゴンサレス(45 歳)が第1位(26.41%)となり、第2 位(24.32%)には右派のダニエル・ノボア元議員(35 歳)が入った。
最年少候補である彼は、経済界の王者であるバナナ王の長男として知られ、エクアドル最大の独占グループ「ノボア・グループ」の代表である。
彼は政党連合、国民民主連合(ADN)から立候補し、政治経験も浅く、選挙の数週間前の世論調査では5%の支持率しかなく、当初は泡沫候補とみられていた。討論会でその票を伸ばしたといわれ、大きなサプライズとなった。この二人の一騎打ちは、10 月15 日の決選投票に持ち越された。
自然保護区の鉱山開発をめぐる国民投票
この総選挙と同時に、生物多様性の宝庫であるアマゾン地域のヤスニ国立公園のブロック43ITTの原油を無期限に地中を眠らせておくかとの国民投票が行われた。投票者約940 万(投票率71%)国民投票実施を呼び掛けてきたヤスニス
で、掘削停止の賛成票が59%を獲得した。
ラファエル・コレア大統領は、2007 年、「ヤスニITT イニシアティブ」を提唱した。世界的な遺産ともいうべきこの地でCO2の排出源ともなる石油採掘を避けるため、石油開発で予想される利益の50%=36 億ドルの拠出を国際社会に求めるというものであった。
このイニシアティブは斬新な環境対策として注目を集めていたが、拠出金の確保は芳しくなかった。そのため、2013 年、コレア政権は油田開発の再開を発表した。
それに対する反発として、若者たちが中心となる環境保護グループ「ヤスニドス(Yasunidos)」が生まれた。今回、彼らは75 万7000 人の署名を集め、選挙機関への法廷闘争を展開し、国民投票を具体化させた。脆弱な生態系や先住民族保護へと繋がるこの投票に関して、俳優のレオナルド・ディカプリオもキャンペーンに参加、「気候政策民主
化の手本」と称賛している。
すでにブロック43ITT を2016 年から操業してきた国営企業ペトロエクアドル社は、国民投票の結果について、民衆の決定を完全に尊重すると表明している。その一方で、「ここでの石油生産はエクアドル全体の約48 万バレルの約11%に相当し、採掘中止でこうむる損失は年間12 憶ドル、20 年間で138 億ドルに相当する」と説明している。
これに対して、ヤスニドスのメンバー、アレハンドラ・サンティジャンは、「この数値はかなり誇張されていて、国民投票の結果は下からの直接民主主義が可能であることを示すものだ。一度皆が席に座し、いかにして社会的、エコロジーで公正なエクアドルに移行するか議論すること、世界に向かってこれを提起することが重要だ」と、ヤスニの土地に利権を獲得している中国企業の撤退など、今後の具体的な手段を提示しながら述べた。
同日、首都キトの北西部のピチンチャ県の農村部にあるチョコ・アンディノの生物保護区での鉱山開発に関する住民投票も実施された。鉱山開発禁止が68%の賛成で決定した。この地区は、約300万人が居住するキトの肺とも呼ばれる土地である。
開発主義への反対
エクアドル全国先住民族連盟(CONAIE)のレオニダス・イサ議長は、鉱山開発をめぐる住民投票に関して、「地球生命を守るための全世界の闘争の火種になった」と評価した。また、大統領選挙に関しても鉱山開発への姿勢が重要であるとして、人権侵害も顧みず強権的に開発主義を進めたコレア派のゴンサレス、新自由主義を継続する右派ノボアのどちらも支持していない。
さらに北部に位置するインタグ地方、熱帯アンデス山脈の裾野に広がる世界で最も生物多様性が豊かなホットスポットの一つである雲霧林の森でも、30 年近くわたって、日系企業を始めとする様々な企業によって鉱山開発危機が繰り返され、地域住民とのあいだで攻防が続いていた。
この地域では、エクアドルとチリの両国営企業(ENAMI-CODELCO 社の合弁事業)による銅山開発によって、ジュリマグアプロジェクトが強引に進められていた。しかし、今年3 月29 日、インバブラ県地裁において、憲法に明記される「自然の権利」を認に基づき、両社の銅採掘ライセンス取り消しを命じる画期的な判決が下された。
エクアドルは2008 年、世界で初の「自然の権利」を認める新しい憲法を採択した。自然の生態系は存在し、繁栄し、進化する権利を有するというものである。個人や地域コミュニティが、この「自然の権利」を自然の「代理人」として保護する権利を認めている。
近年、コロナ禍を経て深刻な財政危機により、エクアドルでは、強引で過度な開発主義が加速されてきた。今回、退陣するラッソ政権は、年間70億ドルの財政赤字を黒字にすることが可能であるとして、熱帯やアマゾン地域に矛先をむけた石油産出倍増計画などを提案していた。
世界に誇るこの国の貴重な自然環境は常に脅かされてきた。しかし多くの人々は、緊縮政策やその生活不安の中においても、短期的な財源の引き換えとして母なる大地や、それにより生み出されてきた多様な民族文化の破壊を望んでいない。
新自由主義政策の継続か
10 月15 日の大統領選挙の決選投票(投票率82.33%)の結果は、ダニエル・ノボアが得票率約52%で、ルイサ・ゴンサレス(約47%)に勝利するというものだった。彼の統治期間は、退陣したラッソの本来の任期末2025 年5 月までである。
ノボアは支持者を前に「暴力や汚職、憎しみによって深く傷ついた国を再建する」と述べ、治安の回復などに優先して取り組む考えを示した。麻薬の密売組織といった犯罪組織が、軍や警察に入り込み利用しているとも指摘されるなか、国の統治能力を取り戻せるかが、課題として問われることになる。
またノボアは新事業の活性化などによる雇用の創出を訴えている。エクアドルで国内有数の富豪であり実業家という彼によって継続される新自由政策が、主要な産業を石油やバナナ・カカオ・エビといった第一次産品が占めるこの国の未来をどう変えるのか?
このエクアドルの最大の長所というべき、その多様な生命や文化、人々の暮らし、そしてその心が壊されてゆかぬよう願いつつ、今後も動向を注視していきたいと思う。【そんりさvol.186=2023.11】
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