コロンビア左派政権樹立から一年、終わらない戦争 柴田 大輔

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2023年6月、再びマグイで地雷の犠牲者がでて、数百人が抗議した(ディエゴ・チンガル氏提供)

 2022 年 8 月、コロンビア史上初となる左派政権が発足した。大統領に就任したのは、1990 年に武
装解除し政治参加した左翼ゲリラ M-19(4 月 19日運動)の元構成員、グスタボ・ペトロ氏だ。これ
までに上下院議員、首都ボゴタ市長を務め、大統領選挙には 3 度目の出馬で初当選を果たした。コ
ロンビアは建国以来、保守・自由の二大政党が約200 年間政権を担い、直近 20 年は中道、右派勢力
が大統領を輩出してきた。では今なぜ、左派政権が誕生したのか。その背景には、蔓延る政治腐敗、
70 年に及ぶ武力紛争があり、社会問題を解決できなかった「いつもの人々」とも呼ばれる政権を担
い続けた支配層への国民の強い不信がある。

「和平」の失敗と紛争拡大

 2016 年、コロンビアでは当時最大の勢力を持った反政府ゲリラ FARC(コロンビア革命軍)と政
府が和平に合意し、翌年には約 13,000 人の FARC構成員が武装解除し、紛争終結への期待が大きく
膨らんだ。しかしその後、2018 年に大統領に就任したイバン・ドゥケ政権の失政により和平への道
筋は頓挫し、武装活動を再開するものが現れるだけでなく、複数の麻薬組織が乱立、勢力を拡大し、
活動領域をめぐる抗争が激化した。報道によると、2022 年にコロンビアで起きた暴力に起因する市
民の強制移住は 33 万件を超え、過去 10 年で最多となっている。
 悪化する治安に生活を侵されるのが、過去にも深刻な暴力に晒されてきた、武装組織が活動する
農村地域だ。人権侵害が続く地域の一つに、私が2013 年から取材を続けているコロンビア南西部
の山岳地帯に暮らす先住民族アワの人たちがいる。
 6 月 11 日、SNS にアワの知人たちが投稿する銃声が激しく鳴り響く動画が流れてきた。現地に連
絡を入れると、返信がとどいた。
「こっちは状況が複雑だ。私たちの村で複数の武装組織が戦闘を繰り広げている。多くの人が避難のため山を降りはじめている」
 前月から山間部で 3 つの違法武装組織が対立を激化させ銃撃戦が続いているという。

2023 年 6 月、紛争を逃れた人々が麓の町の避
難所に集まった(ディエゴ・チンガル氏提供)

 安全のために広域から数千人が麓の町へ避難しただけでなく、村の周囲に地雷が撒かれ、逃げ遅れ
た人たちが山に閉じ込められているとも訴えていた。対立するのは、左派系武装組織の国民解放軍
(ELN)、2017 年に武装解除した FARC の分派である「第 30 戦線」、「第 2 マルケタリア」の3つの
組織。それぞれ麻薬を資金源としているとされている。
 現地では激しく事態が動いていた。6 月 23 日には、慟哭する女性や子供たちの姿を映した動画と、地雷を踏み腰から下を吹き飛ばされた男性の写真が届いた。その男性は、私も知る人だったし、動画には、私が現地で世話になった人たちも多数映し出されていた。あまりの出来事に、私は自宅でパソコンに向き合い、ただ呆然としていた。彼らが暮らすのは、先住民族アワの人たちが暮らす「マグイ」という自治地域だ。以前は麓の街から6時間かけて歩いていたが、昨年ようやく車道が村の入り口まで開通し、2 時間余りに短縮された。た
だそこから先に車道はなく、馬か徒歩で 1 日、2 日かけて人々が行き来する。マグイを構成する5つの集落で計 300 家族ほどが農業や牧畜を営み、自給自足的な暮らしを送ってきた。地域が初めて戦争に巻き込まれたのは 2000 年前後で、反政府ゲリラ FARC が地域を支配し始めてからだった。
 2002 年、対ゲリラ強行派の政権が発足すると、マグイ一帯に空爆が繰り返された。ゲリラを締め出したい政府軍は山への攻撃を激化させ、住民をゲリラの協力者とみなし迫害した。ゲリラの情報を引き出すために不当に拘束され暴行を受ける住民もいたし、ゲリラとの関係を疑われ殺害される人もいた。ゲリラも住民への締め付けを強くした。
 軍や警察に情報をもらす人を殺害し、見せしめに遺体を晒すこともあった。住民は瞬く間にコロン
ビアで最も激しい暴力に巻き込まれた。2016 年の和平合意はようやく訪れた平穏だったが、一時的
なものでしかなかった。

立ち上がる当事者たち

 地雷の犠牲者がでたと聞いた数日後、別の映像が送られてきた。避難民が集まる町で行われた犠牲者の葬儀だった。小さな町を貫く一本の未舗装路を、棺を担ぐ人とそれを囲む数百人が列をなし、平和を訴える白旗と先住民族の自治を象徴する「杖」を掲げ行進していた。数百メートルに及ぶ列の中には犠牲者と同郷の避難民だけでなく、町の住民も多数参列し、抗議の声を上げていた。同時に、彼らは町の外側を通る幹線道路を封鎖し、戦争を放置した責任を国に問い、必要な支援を求めていた。
 この光景を見て、2011 年との違いに驚いた。2011 年 12 月にも同じ町で、マグイで地雷の犠牲になった人の葬儀が行われていた。その時、たまたまこの町に滞在していた私は葬儀に立ち会っていたが、参列者は親近者が数十人だけで、今回のように平和を訴えるものとはかけ離れていた。慢性化する戦争の中で、同様の場面は繰り返されていたため、それを特別視する人は誰もいなかったのだ。
 約 10 年が経ち、人々の意識は大きく変化していた。この間に何が起きていたのか。私は縁があり、2011 年以来、葬儀が行われた町と避難民が暮らしてきた山間部を繰り返し訪ねてきた。その時期コロンビア中が訪れるであろう「和平」に向けて期待を膨らませる時代と重なった。そこで出会ったのは、様々な場所に出向き紛争被害を語り、安心して暮らすために自分たちの権利を主張する被害者たちだった。外部の支援者との交流も繰り返しながら、こんな言葉が発せられていた。
“Luchamos! No más silencio”(闘おう!私たちはもう黙らない)。

2011 年マグイで地雷の犠牲者がでた。
麓の町で葬儀が行われた(2011年12月 筆者撮影)


 今回、被害を受けている自治組織「マグイ」が声明文を発表した。そこには自分たちが起こす抗議が、先住民族の権利を明記した国際法と、それを踏まえて作られたコロンビア憲法と、その憲法に基づく国内法に裏打ちされた権利の正当な主張であることが明記され、問題解決のために SNS やメディアを通じて世界に広く意見を発信し、仲間を募っていた。
 私はこの地域が再び戦火に包まれて、「10 年前に時代が戻ってしまった」と感じ、ひどく気分が落ち込んだ。しかしそれは間違いだと感じた。この 10 年の間に確実に根付いたのは、先住民族としての権利意識だと感じた。この土地は誰のものなのか。外から来て戦争をする人間のものではない。自分たちこそが土地の主権者なのだというものだ。その意識が根付いたのは、当事者としての地道な運動の成果であり、当事者の主張を支える地域住民や内外の支援者の存在がある。これは、より良い社会の建設を諦めないコロンビア社会で
生きる多くの人たちの意思の表れであると感じている。
 2023 年 6 月、違法武装組織 ELN と政府が 8 月より 180 日間の停戦に合意し、2025 年 5 月までの紛争終結に向けて和平交渉を進めることが発表された。さらに 7 月 7 日には、旧 FARC 分派最大の「FARC-EP 中央参謀本部」が、政府と和平交渉に向け対話が開始されると報道された。ただ一方で、現在のコロンビアで市民が犠牲になるのは、違法組織同士の抗争が主な原因である。違法組織が存在し続ける要因として指摘される貧困、差別的な社会構造などの社会問題を左派政権が具体的にどう解決していくかが問われている

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