音楽三昧♪ペルーな日々【14】アベラルド・ヌニェス氏を偲ぶ 水口良樹

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 2005年の年末に、愛知県で一人の偉大なペルーの作曲家が亡くなった。癌だった。彼の名はルイス・アペラルド・タカハシ・ヌニェス。日系ペルー人だ。ペルーの北部海岸地方で音楽に囲まれて生まれ育ち、首都のリマに出て時計職人として働きながら作曲や音楽活動で頭角を表し、やがてペル1のクリオーヤ音楽を代表する作曲家として多くの名曲を適した。彼の曲はペルーのみならず、ラテンアメリカ各地で今でもことあるごとに大合唱され、愛され続けている。晩年に至るまで、まさに70歳を過ぎても作曲の熱意は衰えず、始終日本とペルーを行き来しながら新作を発表し続けていた。そんな作曲家が日本でひっそりと人生に幕を降ろしたのである。今日はそんな知られざる日系ペルー人作曲家を少し紹介したい。

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 ルイス・アペラルド氏の父サクゾウ・タカハシ氏は福島県出身で、日露戦争従軍後、1916年にペルーのフェレニャフェ村の農場で働くために移住した。そして1922年にはタルシラ・ヌニェス・デルガードと出会い結婚している。非常に多才な人だったようで、フェレニャフェにレストランや仕立屋を開業し、また花火職人としても名を挙げた。未来の大作曲家は、1927年に北部海岸地方のフェレニャフェ村でサクゾウ氏の5人兄弟の長男として生まれた。音楽的な才能に恵まれた彼は、幼い頃から親戚からギターの手ほどきを受けたり、近隣の音楽家たちからさまざまな音楽を吸収しながら成長した。
 1946年(19歳)にリマに時計技師の修行に出て来た、しかし彼は、仕事以上に音楽活動に黙中し、次第に「マル・パソ」、「サカチスバス」などの名曲を数多く生み出し、大作曲家への道を歩んで行った。晩年は日本に子供たちが移住するのに合わせて移住したが、日本語は喋れず、日系ペルー人社会の中で生活していた。
 彼が亡くなる年の春に、私は一度彼に会いに行ったことがある。春先、まだ少し肌寒い頃、一緒に行こうと誘ってくれた彼をよく知っている友人にドタキャンされ、一人でお宅を伺った。アベラルドさんは風邪気味でジャージ姿であったが、アパートから外に出迎えに来てくれた。とても数多くのヒット曲を作曲した大作曲家とは思えない質素な生活ではあったが、奥さんもエンパナーダを焼いてくださったりして、家族ぐるみで温かく迎えてくださった。晩年に彼が気に入っていた代表作「アルコイリス」や「デラ・ミスマ・サングレ」などの彼の気に入った録音をわざわざテープにダビングしてくださった。そうして一緒に過ごした束の間の時間を私は忘れることができない。特にそこで歌ってくれた未発表のパルス(ワルツ)、日系ペルー人の日本に来るときの明るい希望と、その幻想の破綻を歌った「二つの幻想」は、激しく私の胸を打った。こうした未発表曲がそのまま埋もれて埋もれて行ってしまわないことを祈っている。家を辞する時には、またいつでもおいでと言われ、また絶対行きますと約束したが、その約束が果たされる前に、8月ごろ癌が再発して入院したという知らせを受け取った。結局多くの人から回復を祈られつつ、年末に帰らぬ人となった。死後遺体はペルーに送られ、盛大な追悼のコンサートが各地で行われた。日本でも翌年の2006年5月、彼の住んでいた愛知県内の豊田市で追悼コンサートが行われた。私も縁あってそこで演奏させていただいたが、日本各地からクリオーヤ音楽漬嚢家が集まり、会場は当日ペルー人で大入り満員となったコンサートだった。特に彼のお膝元であった愛知県のミュージシャンたちからは、アペラルド・ヌニェス氏という存在の大きさがひしひしと伝わり、改めて大きな人を失ったことを思い知らされた。


 彼の曲は多くの録音があるが、彼の曲を歌っている代表的な演奏家をあげるとすると、エバ・アイジョン、ロス・キプス、セシリア・バラッサ、ロス・モチカス、ロス・ダバロス、ロス・ロマンセーロス・クリオーヨ、フィエスタ・クローヤなどがあげられるだろうか。ぜひ機会があったら聴いてみてほしいと思う。【そんりさvol.105(2007.1

「音楽三昧♪ ペルーな日々」は「ソンリサ92号」(2004.11.6)から連載しています。
過去のソンリサの一部はPDFで購読できます。
https://recom.r-lab.info/sonrisa/#1

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