音楽三昧♪ペルーな日々【81】 ラテンアメリカにおけるフェミニズムをめぐる歌の旅① 水口良樹

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 正月 2 日に NHK の「100 分 de 名著」の拡大版として「100 分 de フェミニズム」が放映された。女性への差別が今なお苛烈であるにもかかわらず、それを差別とさえ認識されていないことがまかり通っている日本社会において、一つの事件であったといえるだろう。同時に、今もフェミニストを表明すること自体が社会的バッシングを受けるリスクを伴う懲罰的社会であり、フェミサイド(女性憎悪殺人。スペイン語で feminicidio)という概念が共有されないまま、女性であることが原因で命を落とす女性たちが、差別的文脈を脱色された「殺人」としてのみ扱われるという状況はまだ更新されるには時間がかかる状況である。
 ラテンアメリカは悪名高きマチスモの地でありながら、現在こうしたフェミサイドや反家父長制に対する女性運動がバッシングされつつも大きな力を持ちつつあるようにみえる。こうした地域で音楽は、どのようにこの運動に寄り添っているかを数回に分けて紹介していければと思っている。知らない曲があったらYouTube などで検索して聴いてみて欲しいと思う(ふだんはこういうことをあまり書かないのだが今回は敢えて強く書いてみます)。
 私がラテンアメリカのフェミニズム運動がここまで顕在化し大きな力を持っていることに衝撃を受けたのは、恥ずかしながら 2019 年のチリの反新自由主義の大きな社会運動とそれに続くフェミニズム運動が現れた時だった。それまでにも個別にはいろいろなトピックとして認識はしていても、全体の流れとして運
動自体の盛り上がりとして認識できていなかったこともあり、先鋭化することでかえって分断をもたらすといった批判的言説もありながらも圧倒的な存在感を見せた彼らの活動に驚きを隠せなかった(そもそも彼女たちの「怒り」は正当なもので、彼女たちが抑圧的マジョリティにこれ以上配慮することを求めること自体が暴力ではないのか、というのが私自身の感覚に近い)。
 2019 年 10 月に始まるチリの動乱は、知る人はもうよく知っているトピックなので、そんりさ読者に今さら私が説明するのもなんですが、あえて簡単に説明すると、度重なる新自由主義政策の深化で貧困層の生存と社会上昇の機会がどんどんと削られていく中、度重なる増税や社会保障の切り詰めや教育費の高騰、公共料金の値上げに爆発寸前になっていたところに、地下鉄料金の値上げがとどめを刺したことで、暴発的に広がった
突発的な社会闘争だったと言える。
 高校生たちが中心になって地下鉄料金を払わずに無賃乗車した運動が瞬く間に多くの人へと広がっていき、それをきっかけに市民の不満が爆発、地下鉄の駅占拠から一気に各地で暴動やデモへとつながり、地下鉄の多数の駅が破壊、炎上、百万人を超える民衆が首都でデモを行い大統領の退陣とピノチェト軍事政権時に制定された新自由主義的憲法の改憲を要求した。この突発的な民衆の統率されない蜂起に対してチリの警察はかなり暴力的弾圧を加え、警察による多くの失明者や性暴力が大きな問題となった。
 こうした中で登場したパフォーマンスが、路上を占拠して行われる「おまえの進む先にレイプ魔が Un violador en tu camino」(レイプ魔はおまえ Un violador eres tu とも)だった。

「レイプ魔はお前だ」パフォーマンス

 このパフォーマンスはもともとチリのバルパライソのフェミニスト・アクティビスト集団ラス・テシスが 2019 年 11 月に考案し発表したものだったラス・テシスが、その家父長制と女性への暴力が可視化された告発的で分かりやすいスタイルが人々の共感を呼び、チリ国内だけでなく、ラテンアメリカすら超えて、欧米や日本でもパフォーマンスが共有されていく大きなムーブメントに発展した(残念ながら日本では言語の壁もありあまり認知されなかった)。

ラス・テシス

 そのパフォーマンスは、目隠しをしてリズムに合わせて軽く踊るように身体を動かしながら告発のスローガンに合わせて指さしたり、スクワットしたり叫ぶといったものだ。先鋭的な歌詞は「家父長制が私たちを裁く」「私たちに与えられる罰は、私たちが受けてきた暴力」「それはフェミサイド、加害者の免罪、強制失踪、レイプ」「レイプしたのはおまえだ」「それを行うのは警察、裁判官、国家、大統領だ」と、性暴力やフェミサイドが特定の「異常な」個人の行動によるものではなく、社会制度自体によって構造化された暴力であることを告発するものとなっている。
 こうしたフェミサイドの問題は 2015 年ごろアルゼンチンで起きた「もうこれ以上はさせない運動」(Ni una menos)が一つの流れを生み出したとも言われている。海老原弘子さんによれば、2000 年代初めからアルゼンチンで
はフェミサイドの実態調査が始まっており、女性であることが理由となっている殺人がアルゼンチンでは 34 時間に一人の勢いで殺されているということが明らかになっていた。
2015 年のフェミサイドがきっかけになってアルゼンチンで「ニ・ウナ・メノス運動」に何万人もの人が集まり一気に本格化すると、この運動は他のラテンアメリカ諸国やスペイン、イタリアなどにも広がり、スペインのフェミニズム運動と連動しながら女性であることが抑圧される社会の問題を顕在化させていった。ラス・テシスのパフォーマンスも明らかにこうした潮流の中から生まれており、ラテンアメリカの女性運動が、英語圏を中心とする#metoo 運動以上にストリートを拠点とした下からの怒りとしてより強固な連帯と熱量を持っているように感じられる。さらに 2020 年には
メキシコ北部の歌手ビビール・キンターナがチリのモン・ラフェルテとともに歌い、反フェミサイドの闘いの象徴的な歌として各地の土地の文脈で歌い継がれている「恐れのない歌Canción sin miedo」が注目された。ここではフェミサイドで殺された女性の具体的な名前や地名を織り込みながら、女性が殺されること、性暴力に会うこと、そしてそれらの問題を過小評価する裁判所や警察、国家という制度自体を告発し、私たちは闘うと宣言する歌となっている。具体的な名前が入る、ということがもたらす意味をここでは大きく受け止める必要があるだろう。それにより、この歌は闘いの歌であり鎮魂の歌であり、継承の歌となる。それによってその土地土地の暴力と闘争の歴史の文脈で歌い直すことが可能になる。それもこの歌が各地で歌われている大きな要素であるように思われる。

Querida Muerte

 また、フェミサイドを扱った歌で忘れられない曲としてはニューヨークで活動しているフェミニストでアナキストのメキシコ人歌手、レネ・ゴーストの「親愛なる死(私たちを殺さないで Querida Muerte (No nos maten)」(2019)
がある。道をつけられる、常に値踏みされる。そして飲み物に何かをいれられる。母親からは「気をつけて」「夜道を歩かないように」と言われる。こうした女性たちが生きる日常は、あまりに男性の生きる世界と隔絶しており、男性たちには全く見えていない世界である。そして多くの男性は、自らが知らずに振るっている暴力と特権的位置にあまりに無自覚だ。女性たちが受ける暴力のほとんどが男性によるものであるにも関わらず、それは男性の問題としては決して認識されることがない。

Canción sin miedo

 導入に字数を割きすぎて、思っていた曲をほとんど紹介できなかったので、次回以降で各国のフェミニズム運動に関わる個人的に私が衝撃を受けたり、しびれたりした名曲を紹 介しながら、最後はペルーのフェミニズムにまつわる曲まで紹介できればと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。【そんりさvol.183(2023.1)】

「音楽三昧♪ ペルーな日々」は「ソンリサ92号」(2004.11.6)から連載しています。
過去のソンリサの一部はPDFで購読できます。
https://recom.r-lab.info/sonrisa/#164

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